「無作為はともだち」に関する考察とシャドウバースへの適用について

マジック:ザ・ギャザリングに関する記事の翻訳記事「無作為は友達」を読んでの私なりのまとめと感想を書いてみようと思いました。
この記事は2009年5月4日に書かれたものですが、その頃にはもうこのレベルの考察がまとまっていたのか、と感嘆しました。
ゲームデザインに携わる人なら知っていて当然の知識なのかもしれませんが、ちゃんと考えられてるか怪しい調整をしているゲームもありますよね。

内容は大きく分けると

・無作為とは何であるか
・無作為のメリット
・無作為のデメリット
・良い無作為とはどのような無作為か

のようになっており、これらを実際にマジック:ザ・ギャザリングのカードと絡めて記述してあります。

無作為とは何であるか

辞書的な意味で言えば、「作為のないこと。意図的に手を加えることなく、偶然にまかせること。ランダム。」のことを指します。
本記事では、「操作が加えられなければ予想できないこと」を定義としており、具体例としては

・ライブラリ(=デッキ)からのドロー
・コイントス
・サイコロを振る

などが挙げられています。

無作為のメリット

記事の中では

・驚きを作り出す
・ゲームを変える
・反応を呼び起こす

という3点が挙げられています。
「驚きを作り出す」とはそのままの意味で、完全には予測出来ない現象が発生することよってゲームをよりエキサイティングに、ドラマチックにする効果です。絶体絶命の状況下でデッキに3枚しか無い回答カードを引いてきて解決するというのは、それを成し遂げたプレイヤーにとっても、観客にとっても沸く場面であることは想像に難くないでしょう。(やられた方はさぞ悔しいでしょうが)
「ゲームを変える」とは、飽きを防止することを指します。同じデッキを使った時のドロー順が完全に同じなのであれば、デッキの最適解を出すまでの過程は楽しいかもしれませんが、答えに辿り着いてしまえばそのゲームはただの作業になってしまいます。無作為性により毎回ゲームの様相が変化することでゲームを長く楽しむことが可能になります。
「反応を呼び起こす」とは、無作為な現象に対処するために、より高度なスキルをプレイヤーに要求することを指しているようです(解りにくいw)。無作為により、起こり得る現象の種類が増すため、プレイヤーが勝率を高めるためにはより多くの状況に対する理解が必要になるためです。無作為性により、ゲームの習熟度に対して厚みが生まれ、むしろ逆にプレイヤーの自己効力感が増すということを意味しているのだと思います。

無作為のデメリット

無作為であることそのものがプレイヤーに非常に嫌われることがデメリットなわけですが、プレイヤーが無作為を嫌う要素として、

・繰り返させられる
・いらいらさせられる
・ゲームが停滞する
・番狂わせが起こる

といったものが挙げられています。
「繰り返させられる」に関しては、サイコロの目である数字を出すまで先に進めないことによって、成功するまで何度もサイコロを振らされるような現象を指します。これは無作為性そのものの問題というよりは仕様の問題だと思いますが、そのような状態を引き起こし得るということでしょう。
「いらいらさせられる」に関してはカードゲーマーなら誰しもが抱いている気持ちだと思いますが、自分が何度も負けた時にその原因が無作為性にあるなら(ないし、無作為性にあると感じるなら)、より無力感を煽ってしまうことを指します。実際には運以上に腕が悪いことが原因だとしても「はいはい、運ゲー運ゲー」と結論付けてしまうユーザは少なくないですが、これは無作為性によるイライラが頂点に達していることが原因と言えます。
「ゲームが停滞する」に関しては「繰り返させられる」と似た内容だと思います。何度も同じことを行わされるのに成功する確証が存在しないことを指しています。「繰り返させられる」に関しては何度も同じことをさせられることそのものが面白くないことに焦点を当てていましたが、「ゲームが停滞する」に関しては、どちらかというと成功しない可能性があるという絶望感に焦点があるようです。
「番狂わせが起こる」に関しては、弱いプレイヤーが強いプレイヤーに勝ってしまうことを指します。ゲームデザイン的にはある程度このような側面を必要としているのですが、弱いプレイヤーに負けた強いプレイヤーの苦痛の大きさに関しては周知の通りです。弱いプレイヤーが勝つことによる心理的高揚より、強いプレイヤーが負けたことによる意気阻喪の方が大きいというのを問題点の焦点として挙げています。

良い無作為とはどのような無作為か

このように無作為性には良さ、悪さがともにあります。
このため、好まれる無作為性を研究することで、メリット面をアピールしていきたいという狙いがあります。
記事では4つのポイントが挙げられています。

・無作為の結果がより良いものになるようにせよ
・プレイヤーに無作為に対処する機会を与えよ
・プレイヤーに無作為性の源を操作させよ
・無作為の象徴を取り除け

無作為の結果がより良いものになるようにせよ

「無作為をエキサイティングにしているのは未知であるということだが、未知にも良い未知と悪い未知がある。おばあちゃんが僕の誕生日に作ってくれるデザートが何なのかは良い未知で、暗い路地に潜んでいるのが何なのかは悪い未知だ。」
と記事中に書いてあるわけですが、心理学で割と有名な知見に、人間はプラスの現象よりもマイナスの現象の方をより強く知覚するという知見があります。5分5分で良いことと悪いことが起こる現象が起こるぐらいなら、何も起こらない方がマシだと認知するということですね。
これはゲームにおいても同じだと言えるので、そのような無作為性は嫌われるということになります。
このため、良い無作為性とは、どれが起きてもプラスの結果になるが、その中で何が起こるかは解らないという現象にすべきということが書かれています。
「無作為は、プレイヤーを良い結果で驚かせるために使うべし。興奮させるべきであって、緊張させるべきではない」という言葉で締められていますが、なるほどと思わせる言葉です。

プレイヤーに無作為に対処する機会を与えよ

これは個人的に最も重要なことだと思っています。無作為のメリットで挙げられた「反応を呼び起こす」は無作為に対処する機会があるからこそプレイヤーのスキル向上があるわけで、知っていても対処出来なければただのクソゲーです。
ここに関して、記事中の記載では「無作為は、ゲームの早い時期に発生するほうが良い」と言われています。早い段階で起きた無作為に対処するのは楽しいことだから、というのがその論拠です。
このことに関してはその通りだと思うのですが、私はこれだけでは不足していると考えており、無作為によって起こる分散が大きくなり過ぎないことが重要だと考えています。ゲームの早い段階で起こる無作為なら問題ないというのであれば、先攻後攻は常に良い無作為であると言えるわけですが、先攻後攻差が酷いゲーム程嫌われるゲームはそうそうないでしょう。
実際には早い段階で起きるかどうかではなく、その無作為に対する対応可能性があるか無いかというのが重要だと言えるでしょう。
早い段階で起きる無作為というのは、対応可能性が高いという意味で良い無作為なわけです。

プレイヤーに無作為性の源を操作させよ

これは、デッキからのドローという無作為性に対する回答と言えます。
引きたいカードが引けなくて負けるというのは、無作為による敗北なわけですが、無作為性の源であるデッキの内容をプレイヤーは操作することが出来るわけです。事故率の低いデッキを使うのか、事故率は高いが回れば上級者にも勝てるようなデッキを使うのか。事故率の高いデッキを使って事故死したならそれは仕方ないとプレイヤーは認知できるでしょう。
…まぁ、事故率が低いデッキを使って事故死した時などは言いようのない怒りを感じるわけですが、事故率の低いデッキをそれと解って選択するような上級者層は一度や二度の事故死ではへこたれないので大した問題では無いでしょうw

無作為の象徴を取り除け

サイコロやコイントスなど、無作為の象徴物をゲームから取り除くことを推奨しています。
これらに関してはアンケートで否定的な意見が大量に集まり、それらを用いたカードの人気が非常に低かったことから得られた経験的な解答だとのことです。

シャドウバースにおける無作為

シャドウバースは恐らく意識的になるべく良い無作為性だけを選びとろうとしているように見えます。
先攻後攻の勝率の歪みに対していち早く対応したのもその一環と言えるでしょう。

シャドウバースにおいて最も無作為性の高いカードは恐らく蝿の王だと思いますが、このカードも「無作為の結果がより良いものになるようにせよ」を満たしたカードだと言えます。
仮に蝿の王のスタッツが7/6/6だったとして、効果がしもべを相手または自分のフィールドに召喚するだったらどうでしょうか?
成功時のパワーが高過ぎるため、デッキインはされる気がしますが、自らが召喚したしもべにより返しターンで必殺で割られてそのまま負けるみたいなゲームが多発しそうですね。この場合に蝿の王を使ったユーザーが「はいはい、運ゲー運ゲー、クソクソ」と発言するのは想像に難くないです。
ベビーエルフ・メイの効果が自分を除く相手または味方のフォロワーに1点ダメージだったとしても非常にストレスフルですね。使う側もストレス溜まりますし、使われる側もそれで自分のフォロワーに当たると今以上にストレスが溜まりそうです。

一方でシャドウバースで最も嫌われた(嫌われている)無作為が何かと言われればぶっちぎりで「新たなる運命」だと言えるでしょう。
このカードが、ひいては冥府エルフがなんでここまで嫌われるのかと言えば「プレイヤーに無作為に対処する機会を与えよ」の項目が満たされていないからです。
使う側からすればそのためにデッキを最適化したりなんだりで、運命後の展開が悪くてもまだ反省点が見い出せるかもしれません。
一方で使われる側からすると対処する機会が存在しない無作為となることが大半です。
運命から運命に繋げるかどうかというのは多くの場合5分5分なわけですが、その結果如何で勝つか負けるかがきっちり分断されることが多々あるわけで。対処する機会のない無作為と日常的に遭遇していればそれは嫌気が指すよね、という。

まとめ

将棋や囲碁、チェスなど、既に人権を持っているゲームであれば複雑なゲームルールでもプレイヤーを集めることが可能でしょう。
ですが、新しくゲームを作るに当たっては複雑すぎるゲームではなかなか人は集まらないでしょう。
新しいゲームにおいては無作為性を利用したゲームの盛り上げというのは概ね必要不可欠ではないかと思っています。
そうした時に、無作為性とどのように付き合っていくべきなのか、知っておくことはゲームデザインを行う上で必須のスキルなのではないかと思っています。
私はゲームデザインに携わる仕事はしていないですが、ゲームを楽しむ一人のユーザとして、無作為性と良く付き合っているゲームを楽しみたいので、そのような良ゲーが増えることや、折角の良いゲームがクソゲーにならないよう、このような知識を持ったデザイナーが増えることを望んでいる次第ですw

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